いかに自分が勝手に物語を作っているか。
余計な思考で、自分を苦しめているのか。
それに気づく簡単なワークをご紹介します。
必要なものは、ペンと紙1枚。
たったこれだけです。
「事実」と「解釈」を分けるとてつもなく簡単なワーク
ステップ1
今、自分が苦しくてしょうがないことや、イライラすること。
それを紙に書き出してみましょう。
必ず、紙に書いてくださいね。
目で見えるようにすることが重要です。
例文でいっしょにやっていきましょう。
私はお隣のAさんから嫌われている。
あいさつをしても、いつもそっけない。
この前も、道ですれ違ったとき、私は笑顔で
「こんにちは、いいお天気ですね」
とあいさつしたのに、Aさんからは、
「そうですか?曇ってきましたよね」
と、ぶっきらぼうな返事が返ってきた。
私はショックを受けて、悲しくて泣きたくなった。
それ以来、Aさんのことがこわくてしょうがない。
ステップ2
書いた文章から、以下を削除してください。
- 事実でないこと(推測)
- 自分の感情が入っている単語
- 形容詞
例文では、こうなります。
私はお隣のAさんから嫌われている。
推測。Aさんが何を考えているか、自分にはわからない。
あいさつをしても、いつもそっけない。
「しても」は、相手を非難する自分の感情が入った言葉。
「いつも」とは100%のこと。100%はありえない。
「そっけない」と感じているのは自分。
この前も、道ですれ違ったとき、私は笑顔で
「この前も」の「も」は「いつも」と同様、100%はありえない。
「こんにちは、いいお天気ですね」
とあいさつしたのに、Aさんからは、
「のに」は、相手を非難する自分の感情が入った言葉。
「そうですか?曇ってきましたよね」
と、ぶっきらぼうな返事が返ってきた。
「ぶっきらぼう」と感じているのは自分。
私はショックを受けて、悲しくて泣きたくなった。
それ以来、Aさんのことがこわくてしょうがない。
すべて、自分の感情。
ステップ3
残った文章を書き出してみましょう。
余計なものを削除すると、例文はこうなります。
Aさんと道で会った。
「こんにちは、いいお天気ですね」
と、私は言った。
「そうですか?曇ってきましたよね」
と、Aさんが言った。
以上、終わり。
もっと、余計なものを取っ払ってしまえば
私が歩いた。
Aさんが歩いた。
私が言葉を発した。
Aさんが言葉を発した。
極端かもしれませんが、事実はこれだけです。
「事実」だけを見れば、実はどこにも問題は起きていません。
問題を引き起こしているのは、すべてあなたの「解釈」です。
あなたを苦しくさせているのは、Aさんの存在ではありません。
Aさんを見てわき起こるあなたの解釈が、あなたを苦しくさせているのです。
苦しさもイライラも、すべて自作自演。
自分ひとりで、勝手に物語を作っているだけ。
試しに、ご自分の場合でやってみてください。
必ず紙に書いてくださいね。
つまづきポイント!
セミナーやセッションで、実際にこのワークをやってもらうと、特に多くの人がひっかかるポイントがあります。
それは、ダンナ問題(笑)
「ダンナが家事を手伝ってくれないのは事実です!」
「事実、ダンナは私の話を聞いてくれません!」
いや、それはあなたの主観、
すべてあなたの「解釈」です。
このワークの「事実」とは、実際に起きている出来事、
客観的事実のことです。
だから、
ダンナはリビングに座っている。
起きている事実はこれだけ。
その事実を見て、あなたのマインドが騒ぎ立てているだけなのです。
ダンナはただリビングに座っているだけ。
ならばあなたもただ、「手伝って」と言えばいいだけですよね。
(ちなみに、ダンナの次に多いのが子どもや親。
家族のことはこじれやすい。近視眼的になりやすいようですね。)
余計なことをしているのをやめる
念のために言っておきます。
これは、「だから私が悪い」と、自分を責めるためのワークではありません。
感情はダメだ!なんていうお話でもありません。
こんなことを、私たちはしょっちゅうやらかしている。
いかに、余計なことをしているのか。
そのバカバカしさに、気づくためのワークです。
本当に起きていることは、何なのか。
その単純さに気づき、囚われから自由になるためのワークです。
主観から客観へ、
視座を上げるための訓練です。
苦しさやイライラから逃れるために、何かを「する」必要はありません。
余計なことをしているのをやめる。
ただそれだけです。
気づいたらやめる。
気づいたらやめる。
その繰り返し。
むずかしいことではありません。
単なる訓練です。
だってクセだから。
クセだから自分で変えられます。
自分でしか変えられないのです。