いかに自分が勝手に物語を作っているか。
余計な思考で、自分を苦しめているのか。
それに気づく簡単なワークを数年前に紹介し、大反響をいただきました。
こちらのブログでも、また紹介しておきますね。
ペンと紙1枚をご用意ください。
「事実」と「解釈」を分けるとてつもなく簡単なワーク
今、自分が苦しくてしょうがないことや、イライラすること。
それを紙に書き出してみましょう。
必ず、紙に書いてくださいね。
目で見えるようにすることが重要です。
例文でいっしょにやってみましょう。
お隣のAさんから、私は嫌われている。
あいさつをしても、いつもそっけない。
この前も、道ですれ違ったとき、私は笑顔で
「こんにちは、いいお天気ですね」
とあいさつしたのに、Aさんからは、
「そうですか?曇ってきましたよね」
と、ぶっきらぼうな返事が返ってきた。
私はショックを受けて、悲しくて泣きたくなった。
それ以来、Aさんのことがこわくてしょうがない。
この文章から、以下を削除してください。
・事実でないこと(推測)
・自分の感情が入っている単語
・形容詞
すると…
お隣のAさんから、私は嫌われている。
推測。Aさんが何を考えているか、自分にはわからない。
あいさつをしても、いつもそっけない。
「しても」は、相手を非難する自分の感情が入った言葉。
「いつも」とは100%のこと。100%はありえない。
「そっけない」と感じているのは自分。
この前も、道ですれ違ったとき、私は笑顔で
「この前も」の「も」は「いつも」と同様。100%はありえない。
「こんにちは、いいお天気ですね」
とあいさつしたのに、Aさんからは、
「のに」は、相手を非難する自分の感情が入った言葉。
「そうですか?曇ってきましたよね」
と、ぶっきらぼうな返事が返ってきた。
「ぶっきらぼう」と感じているのは自分。
私はショックを受けて、悲しくて泣きたくなった。
それ以来、Aさんのことがこわくてしょうがない。
すべて、自分の感情。
余計なものを削除するとこうなります。
Aさんと道で会った。
「こんにちは、いいお天気ですね」
と、私は言った。
「そうですか?曇ってきましたよね」
と、Aさんが言った。
以上、終わり。
もっと、余計なものを取っ払ってしまえば
私が歩いた。
Aさんが歩いた。
私が言葉を発した。
Aさんが言葉を発した。
極端かもしれませんが、事実はこれだけです。
「事実」だけを見れば、実はどこにも問題は起きていません。
問題を引き起こしているのは、すべてあなたの「解釈」なのです。
あなたを苦しくさせているのは、Aさんの存在ではありません。
Aさんを見てわき起こるあなたの解釈が、あなたを苦しくさせているのです。
苦しさもイライラも、すべて自作自演。
自分ひとりで、勝手に物語を作っているだけなのです。
試しに、ご自分の場合でやってみてください。
必ず紙に書いてくださいね。
セミナーやセッションでこのワークをやってもらうと、特に多くの人がひっかかるポイントがあります。
それは、ダンナ問題(笑)
「ダンナが家事を手伝ってくれないのは事実です!」
「事実、ダンナは私の話を聞いてくれません!」
いや、それもすべて、あなたの解釈なんです(^^;)
(ちなみに、ダンナの次に多いのが子どもや母親。
家族のことはこじれやすい。近視眼的になりやすいようですね。)
このワークで言っている「事実」とは、実際に起きている出来事。
だから、
ダンナはリビングに座っている。
起きている事実はこれだけ。
その事実を見て、あなたのマインドが騒ぎ立てているだけなのです。
念のために言っておきます。
これは、「だから私が悪い」と、自分を責めるためのワークではありません。
感情が悪い、ダメだ、というお話でもありません。
「エゴは敵だ~!」とか、「マインド撲滅作戦!」とか。
そういう話では、まったくありません(笑)
こんなことを、私たちはしょっちゅうやらかしている。
いかに、余計なことをしているのか。
そのバカバカしさに、気づくためのワークです。
本当に起きていることは、何なのか。
その単純さに気づき、囚われから自由になるためのワークです。
苦しさやイライラから逃れるために、何かを「する」必要はありません。
余計なことをしているのをやめる。
ただそれだけです。
気づいたらやめる。
気づいたらやめる。
その繰り返し。
むずかしいことではありません。
単なる訓練です。
だってクセだから。
クセだから自分で変えられます。
自分でしか変えられないのです。